拝 啓
入梅前ですが爽やかな日もあり、時々夏雲が見られます。
中総体前で、塾でも若干手綱を緩めさせていただいております。
常々ごひいき御協力、本当にありがとうございます。
なかなかまめな通信ができず、申し訳ございません。
時間があれば極力生徒さんの成績アップにつながる仕事に充てたいという偏屈さをお許しください。
気になることやお悩み、ご相談などは、ご遠慮なくLINE・メールなさってください。
ここ数日は、テレビをつければ、例のN大学の不祥事が報道されていますね。
私も、指導者の末席を汚す者として、大いに気になるところです。
おおよそ事実の真否は明らかで、誰が見ても責められるべきは誰かがわかりきっておりますので、ここはあえて、尻馬に乗って同じような意見を述べるのはやめておきます。
ただ、一連の報道を見聞きして一番に私が思ったことは、
「負けてもいいだろうに、U監督。」ということです。
何が何でも勝つことにこだわれば、似たような悲劇はまた起きると思われます。
世の中のあらゆる場面で、半分は勝ち、半分が負けるのであって、負け戦とわかっていても戦わなければならないことは多くあります。
私も、毎年生徒さんとともに受験を戦います。中には、絶対負けるな、とわかっている戦いもあります。さまざまな理由で、勝てない生徒さんは、一定の割合で必ずおられます。
今の中3の生徒さんの中にも、負けるかもしれないな、と思われる生徒さんはいます。
私は、そういう生徒さんにも最後まで寄り添い続け、負けたらともに保護者様に謝る決意を固めておりますので、淡々とかつ厳しく指導を続けますが、負け戦はつらいです。胃はぼろぼろになります。
しかし、負けるとわかっている戦いのさなかでも、教えることはあるのです。
受験のみならず、これからの長い人生、勝負に出れば半分は負けるのです。
そういうときどう振舞うか、どう人生を軌道修正し、前向きに進むかを決めるのが積み重ねてきた教養だと思います。
でも、負け戦と思っていたら、奇跡的に合格なさる生徒さんも時々います。
負けることを恐れず戦ったごほうびですかね。やはり勉強の神様っているんだな、と思います。
中学生の指導はもちろんですが、小学生の個別指導、英語教室、そろばん教室、いずれも楽しくなってまいりました。
今学期もますますがんばります。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。 敬 具
共稼ぎや、一人親の家庭が多く、
子供はいつも一人ぼっち。
それはしかたがないが、たまの休みにともに過ごせる場合、
特別なことではなく、「日常」をおしえてやってください。
平凡な、日々の暮らしを見せてやってほしい。
塾、水泳、ピアノ、そろばん、英語、お習字、サッカー、と、
スケジュールぎっしりの小学生さんが時々いる。
この子は、自分にとって本当に大切なものを感知するアンテナを張って、
受信できる時間がない。
毎日毎日、与えられたスケジュールをこなす。
弐度と戻っては来ない、命の次に貴重な時間を、
「こなす」ことに費やす。
そうして年を重ねる。
思うようにならない子供さんをお持ちの保護者さまにおいては、
子供さんを伸ばそうと思えば、ある種のあきらめが必要である。
子供は思い通りにはならない。
子供は何もわかっちゃいない。
だから勉強は塾にまかせよう。
そして自分は精一杯助けてやろう、何かできることはないのか探そう。
そういう強く賢いお母さんが、結局勝つ。
ワークは全部先生が見て、添削します。
全員分をすべてみますので、返却が若干遅れます。
それで、別の教材をあげます。こんなのは全部無料です。
自己添削は最後までさせません。先生に見られる、見てもらう、いい加減な解答を
していると怒られる、といった緊張感が、子供を伸ばします。
腕が痛くなります。眼も疲れます。
でも、今日も一日中、添削添削なのです。
それしかない、先生も君たちも、地味と地道の積み重ねさ。
小学生の保護者様にときどき見られますが、
子供さんの、「できない」状態が、我慢ならない保護者様がおられます。
「できない」ときこそチャンス、失敗や間違いを繰り返すことこそが訓練、成長のもとであるのに、
先手先手を打って、成長の芽を片っ端から摘んでしまっておられます。
宿題などで生徒さんが行き詰まっている単元を見つけると、電話がかかってきます。
「道のり・速さ・時間のところがわからないと言っています。」
そういった電話をお受けした瞬間に、この生徒さんは辞めてしまうだろうと思います。
そうして大体その通りになります。
大手チェーン塾ならば、「申し訳ございません、指導を強化いたします。」と返してその場を収めるのでしょうが、
私は適当なことを言ってうやむやに済ませ、同じことの蒸し返しというのが非合理的と思いますので、
「お母様が気付いた分野は氷山の一角で、その100倍くらい、理解できていない分野はございますので
優先順位を考えて、肝心な部分から指導させていただいております。」と、
ありのままを答えます。
意に沿った答えが返ってこなかったお母様は若干熱くなられ、
「そしたら、どうすればいいんですか?」
「放っておいてください。」
「分からないままにして置くってことですか?」
「勉強に対する姿勢や意欲や習慣といったものを固めることがいまは大事です。
目先の細かいことにとらわれていると、子供さんが勉強自体いやになりませんか?」
「み・は・じはどうするんですか?!」
「私の塾の卒業生で、み・は・じがわからないままだった生徒さんは一人もおりません。
しかるべきタイミングでしっかり指導いたします。おまかせくださいませんか。」
要するに、みはじを教えても、意欲がなければ覚えないし、すぐ忘れてしまうわけで、
みはじをわかりたい、という意欲や姿勢を育てることが何よりも大切なのです。
そういった意味で、集団指導での切磋琢磨は大事です。集団の中で伸びる子が優秀な生徒さんと言えます。
私が基本的に個別指導のみの生徒さんを受け入れないのも、そういう訳からなのです。
こういうお母様のお子さんは、驚くほど同じタイプで、受身的で表情がなく、
実力も10段階の5~6ぐらい、意欲も感じられず、それに対してお母様がますますイライラ、
結局やめてしまい、塾を転々とする。
厳しく見えても、実はこういうお母様の行動はたいへんな過保護にあたります。お子様は、
どんなにうるさくても、他人より親が自分を愛している、お母様のいいなりにしておいたほうが平和だ、
と見抜いています。放置なさっている保護者様よりはだいぶんいいですが、過保護に育てられた
お子様は、ある程度のところまでは伸びても、いざ真剣勝負というときに、底力が出ず、
成功しないケースが多いと言います。保護者様におかれましては、できれば、
生徒さんと指導者との一騎打ち、という関係を応援していただきたいものです。
中学3年の皆さん、花の25年度生は、素晴らしい生徒さん達がたくさん集まってください
ました。私には、自分の指導の指針の支えとなっている生徒さんがいます。きみたちの
10年ほど先輩の、やはり花の○○年度生といっていい生徒さんたちのうちの2名です。
その時の私は、時津で信用をいただけるようになり、たくさんの生徒さんが来てくれたことが
嬉しく、和気あいあいと楽しいクラスを作り上げてしまいました。ほとんどの生徒さんが合格
なさいましたが,部活を引退してから入塾された2名の生徒さんが不合格となりました。
その学年の生徒さんは、今も節目節目に塾を訪れ、元気な姿を見せ、近況を知らせて
くれます。2名の生徒さんは、不本意な私立高校に行き、辛い高校生活を送ったそうですが
苦労が実を結んだのか、2名とも国立大学に合格、一流企業に入社しておられます。
私は彼らがそういったことを知らせに来てくれるたびに、胸が締め付けられる思いが
いたします。自分に今ほどの指導力がなかったことは仕方がないとしても、楽しく勉強させ
優しく接したことが、彼らの才能を腐らせていたのではないのかという思いが、その後
次の世代の生徒さん達を指導しながらもずっと、ますます強くなるのです。
彼らが訪れるのは、「先生、気にせんで。自分たち、国立大に受かったよ。」
「高校は落ちたけど、就職もうまくいったよ。やったやろ。」とでも言って私を労ってくれる
ためなのか、それとも照れ隠しなのか、本当に申し訳なかったと、自分を恥ずかしく思います。
それからいろいろな生徒さんを指導させていただきましたが,やはり若者には厳しく毅然とした
態度で接しなければならぬという思いは強くなるばかりです。卒業後も訪ねて来てくれる
塾生さんは少なくなりましたが、それで結構です。2名の生徒さんが顔を見せてくれるのは、
それはそれは嬉しいですが、それよりも、きちんと第一志望に合格して、
「ああきつかった。やっと鬼婆アの塾から卒業できる、二度と来るもんか。」
と思われた方が、よほどいいです。ほとんどのご父兄の皆様が,私より年下になってしまいました。いわば私は、姑のような存在で,こわい,うるさい,面倒くさい存在になりつつあるのかもしれません。それでも私は今後ますますうるさい細かい厳しい塾を目指します。一部大手個別指導塾が、アルバイトを使って,まるで美容院やネイルサロンのお客様のような扱いをして子供たちを甘やかし、腐らせて行くのは見るに堪えません。個人塾でも、塾を始めたばかりで経営が軌道に乗っていない塾は、生徒さんにやめられては困るということで、理想を貫くことはしにくいでしょう。私どものような、経営も落ち着いた個人塾こそ,生徒さんにはっきりしたことを言いながら、頑固に理想を貫く責務があると思っております。
T: この前はなんで休んだとね?
S: 急に部活の特訓が入りました。
T: ん? そうは聞いてないけど? (調査済み。)
S: そうなんです。行ってみると、監督も他の部員も誰も来ていなかったので、
1人で特訓していました。
T: ……。
S: ……。
T: ……。 それも嘘やろ?
T: この前は,なんで休んだとね?
S: 自転車で来ていたら、うっかり田んぼに落ちて、
そのまま気を失っていました。
T: ……。
S: ……。
T: …… 嘘やろ?
中学3年,受験のにおいがしてきた。
この時期になると、生意気盛りの生徒たちが
なんと従順になって来ることか。
特に男子は、まるで子羊のような瞳で、気弱そうに私を見る。
「落ちたくない、先生たすけて…。」
といったふう。
羊が一匹、羊が二匹,……
今夜から眠れそうにない。
私たちの地域はなぜか、いわゆる「○ンキー」「もと○ん」と呼ばれるタイプの方々が多く
生活しておられる。産業の町で、工場も多く、、生活レベルもあまり高くない方々が多いのだ。
仕事が終わってからドンキ・ホーテなど行けば、どこからこんなに湧いて来られたのか
と思うほど、店内は「○ンキー」さんであふれている。夜中だというに、子供連れもいる。
親子で金髪、残念なファッションセンス、時には泣きわめく幼児を大声で怒りちらす、下品極まりない、と、最近までは私は、この手の方々を「お下劣だわ。」と思っていた。
私の塾にもたまに、こういうご家庭のお子様が入塾なさる。きちんとした方もいるのだが、月謝未納のまま踏み倒してやめてしまうのはたいていこういったご家庭だ。けしからん、嘆かわしいと、つい最近まで、ただ厭だった。
この5月,胸の詰まるような事件の報道があった。5歳の男児が親の育児放棄により餓死した。死亡する前の2年間は、親はたまにしか帰宅せず、食事もたまにしか与えられず、電気も止まっていたというから、暗い、寒い、さびしい、ひもじい、怖い、暑い、痛い、苦しい、痩せた小さな体にあらゆる苦痛が圧し掛かった。そしてひとりぼっちで死んだ。このニュースはあまりに辛すぎて、しばらくは思いださないようにしていた。いまだに家族や知り合いと話題にして話したこともない。今も書きながら涙が出てくる。さらに哀しいのは、「パパ」「ママ」「ごはん」くらいしか言葉を話せなかったということだ。この子にとって、生きて行くための大切なものが、「パパ」と「ママ」と「ごはん」の三つだったのだろう。この三つさえあれば生きていけたのだろうに、なくなる前の2年間は、そのたったの三つもなかったのだから、ふた親に対し、「馬鹿野郎!」と思う。
6月の某日、ミスターマックスに行った。ここも「○ンキー」さんが多い。今日も、子供が泣く、
「○ンママ」さん怒鳴る、の構図が繰り広げられている。が、不思議だ、うっとうしくない。というより、その元気な親子が愛おしくさえ感じる。それだけ、あのニュースは私に衝撃を与えたのか。確かに品はない、教養もいまいちだ。しかし、怒鳴り散らしながらもそのお子さんは、血色がよく、少なくとも衣食住は事足りているようだ。ほっぺたは子供らしくパンパン・つるつる、片手にお菓子なり人形なり自動車なり、なにかお気に入りのものを握っている。がりがりの子供など1人もいない。センスはいまいちでも、親子でおそろいのヘアスタイル、ペアルックで決めていたりする。この人たちも、必死で子育てをしているのだな、時には大声で罵倒したり、ハリ倒したり、あちこちの支払いを踏み倒したりしながらも、子供を愛し、一生懸命日本の宝を守っているのだな。嫌っていてごめんなさい。
死んでしまった5歳の男の子は、少なくとも私のある価値観を大きく変えた。
「夢や希望」ということばは、子供に勘違いをさせるので、
私は絶対使わない。
テレビで毎年、各私立高校の宣伝番組をやっているが、
「夢に向かってがんばろう!」的なキャッチコピーがいつも気になる。
教育者がそのような曖昧な表現でいいのか。
「夢に向かって走る」とは、実際どういうことなのか。
私には「破滅に向かってまっしぐら」と聞こえる。
いい加減に、フィーリングで物を言うことは、
特に子供に対しては許されない。
「夢」は、かなわないから「夢」であり、
人生のちょっとしたスパイスであるのであって、
「目的」や「目標」と混同させてはならない。
人生には基本的には「夢」も「希望」もない。
「生きがい」や「目標」は持っていいと思う。
ただし、その「生きがい」や「目標」を見失う時もある。
それでも現実にどっぷり浸かりつつ
両足でしっかりふんばって
何の希望も夢もなくとも、なんとか生きていく。
大切なのは、「夢や希望」ではなく
「平凡な日常」である。
それがわかっていれば、人生は楽しめるし、
普通の日々も輝きの連続だ。
毎日毎日を、大切に、普通に生活できることが
「幸せ」というものではなかろうか。
普通にいられる強さを育むために、
学問があるのだ。
「太陽と埃のなかで」
大好きだった曲だが、これを作った彼は
今ニュースを賑わしている。
なぜ今頃なのか。
これで何かもっと大事なことから
一人でも多く目をそらしてくれ、と
思っている者はいないのか。
みんな騙されないようにね。
騙されないように、お勉強するんだよ。
生徒さんの自己管理能力の養成について
今年のゴールデンウィークは、行き違いがないように、お休み・振り替え等の日程を、早くから何度も何度も、生徒さんがたにお伝えしておりましたので、ほとんど間違いもなく、スムーズに行きました。ご協力ありがとうございました。
ゴールデンウィークや夏休みやお正月休み、学習会や模試の日程など、一度言っただけでは、まず理解していただけません。一部のおりこうさんの女子生徒さんを除き、ほとんどの生徒さんには2度3度と申し上げませんと、伝わらないのです。
そして、何度言っても伝わらない生徒さんが、毎年必ずいらっしゃいます。自己管理能力の欠如した生徒さんです。聞いて覚える気がないのです。
塾を休まない、宿題をきちんと提出する、いろいろな行事の日程等の管理は自分でやり、家族や学校・塾などに迷惑をかけない、こういった姿勢が、まず、成績アップの第一歩です。したがって、この自己管理能力の欠如に対しては、私は厳しく対処いたします。生徒さんの成績アップ、志望校合格を第一義に考える進学塾をうたっております以上、そこのところの軸はぶれません。ずんだれや油断や甘えた言動には、すかさず釘をさします。それがひいては15の春に桜が咲くかどうかに大きくかかわってくるからです。 桜が咲かなかった時の絶望をご存じですか?受験で勝つには、すべてのことを自己責任として認識するべきです。たとえ、病欠や忌引きで勉強できなかったとしても、どんな言い訳も、高校は聞き入れてくれません。成績の良い順にとるだけなのです。
ごく一部のずんだれさんのために、ていねいな日程表を書くことは、時間のロスになります。書いたとしてもそういう生徒さんは読まない、保護者様にも届かないことが多いです。また、いつも丁寧におぜん立てをして、子供の前から障害を取り除いてやるばかりでは、自己管理能力を鍛えてやる機会を逸します。
特にSクラスの生徒さんに多いですが、「明日部活の試合なので休みます。」「今日試合だったので疲れたので休みます。」などの申し出があります。志望校に対し、成績に余裕のある生徒さんなら、OKを出すこともありますが、そういう申し出をなさるのはたいてい、成績が微妙、または全くだめな生徒がほとんどです。
先日、やはり成績が微妙な生徒さんから早く帰りたいとの申し出がありましたので、ためしに、 「部活と勉強と、どっちが大事だと思う?」と聞いてみましたところ、大きな声で「部活です!」と即答でした。あまりの認識不足に、それ以上会話もせず、早く帰ることを許しましたが、まあ子供はそんなものでしょう。ただ、これを一人に許すと、その他の皆様に許さなければならなくなり、とたんに塾全体の箍が緩みます。
また、現在はまだ、個人的理由のお休みの場合も振り替え授業をしておりますが、振り替えは、他学年や他コースの時間帯に割り込んで行うため、そこの生徒さんに迷惑がかかるだけでなく、ご本人にも満足な指導ができないことがあります。やはり保護者さまからのお申し出がない限り許可できません。早引きも、メールか電話でご連絡ください。
そして、休んだり早引きしたりするたびに、確実に学力が落ちて行くことを覚悟願います。
保護者さまにおかれましては、子供さんと塾との間に板ばさみになり、不愉快な思いをなさることもあるでしょう。しかし、常に志望校合格という目標を背負って物を言っております。ご理解ください。
受験はあっという間にやってくるのです。
今のうちに教室を大掃除しておく。
大晦日や正月休みは、受験直前、それどころではない。
卒業生の残したプリントやテストが出てくる。
遠くで頑張っているわが子を想うような気持ち、
うるっと来る。
あ、この子、合格できなかったな。
急に胸がぎゅーっと辛くなる。
忘れることはない。
でも、
もう私が彼にしてやれることはないから、
その代わりに、今の子たちを必死で鍛える。
ずーっと罪滅ぼしをしているようなものだ、
この仕事は。
みんなの新学年のワーク、まだ新しい。
また名前がない。
「これ、だれのかなー?」
注意を促すため、一応訊くが、文字でだれのかすぐ分かる。
「Mちゃんね。」
名前ペンを取りだし、愛をこめてお名前をかいてやる。
それをじっと見ていたMちゃん、
「先生、しゃくれてますよ。」
「???」
その後爆笑。
綺麗に書いてやろうと力んでいたのだろう。
下唇が出ていたらしい。
こういう場面、いつもしゃくれていたのだろうか。
Mちゃんは、勉強もよくできる。
うちは厳しい塾なので、こういうことを遠慮なく言ってくれるお嬢は少ない。
チャックが開いていたり、髪が乱れていたり、
もー、早くおしえてよー、と思うことが多い中、
雰囲気を悪くすることなく、それができるMちゃんは
やはり賢いなと思う。
生徒はみなかわいい。
卒業していったある生徒のことが思い出された。
兄弟姉妹が通塾してくれているので、さりげなく尋ねてみる。
「○○はどうしているかな?」
「あー、勉強大変だって。」
「ふーん、そっか。」
しつこく覚えていられても、お年頃の子どもたちには迷惑だろうから、
そっけなく会話は終わった。
胸があったかくなった。
どうしたらもっと良い指導ができるか、どうやったらもっと生徒さんの成績を上げることができるか,ずっと考え続けております。
常に試行錯誤を繰り返し、効果があると思った方法はすぐに取り入れ、改善を続けてきました。
おかげさまで、一定の結果を出し続けることで皆様の信頼をいただき、生徒さんの学力も上がり、優秀な生徒が集まってくださるようになりました。
集団授業は個別指導とちがって、月謝の設定も安くでき、また、仲間との競争や切磋琢磨により、成績向上に大変効果があります。
反面、クラスメンバー全員の学力のレベルが一定に揃っていませんと、進行が難しいという難点があります。そのため、昨年度の中学3年生におきましては、現行のクラスのレベルについて来られないと思われる多くの生徒さんの入塾をお断りしなくてはなりませんでした。また先日も、指定日に来られない中学校の生徒さんの入塾希望をお断りしたばかりです。その中にはご紹介でいらっしゃった生徒さんもおられ、申し訳ないことです。断られるというのは、少なからず心が傷つきますし、生徒さんをえり好みするのではなく、当塾の門戸をたたいてくださった生徒さんから順番にお受けするのが、講師として正しい姿勢とも思います。
学力の高い生徒さんは、満足させるのに労力がいるため指導は大変ですが、成績が伸びやすいので、精神的に楽です。
学力の低い生徒さんは、指導は楽ですが、結果が目に見えて表れるのに長い期間が必要なため、精神的に辛いです。
一長一短で、どちらの生徒さんも指導を続けていかないと、塾講師としての腕を磨き続けるにおいて、偏った方に向かってしまうという懸念もあります。
学力の差だけでなく、その他いろいろな理由から、26年度より、中学生においては
1学年を2クラスに分けることにいたしました。
当塾は数年内に、新教室に移転の予定があり、そうすると複数の部屋を確保できるようになるため、クラス分けは移転してからと思っていました。しかし現在すでに、各学年ともまとまった人数の生徒さんに入塾いただいており、4月以降さらに問い合わせが始まると思われますので、早めに受け入れ体制を整えることにしました。
改善においては必ず副作用として不都合な点やご協力いただかなければならない点など痛みを伴いますが、漫然と今の状態を続ける方がなおご迷惑をおかけすることになります。
生徒さんのために、プラスの面がはるかに大きいという確信のもとに動いておりますので何卒ご理解いただければと存じます。
目上の人、たとえば私に怒られたり注意されたりしたとき、びっくりするほど従順な生徒さんもいれば、反射的に言い分けが出る生徒さんもいますし、反発した様子の生徒さんもいます。
切れてそのまま辞めていった生徒さんは記憶によれば、時津での16年間で2名だけです。 時津の方は良い方ばかりで、私は幸せだと思います。
怒られても素直な対応を見せてくれる生徒さんは得です。また注意してもらえます。学力も、人としても伸びます。それに対し、他から否定されることに過敏に反応する生徒さんは、今後はほどほどにしなければ、という気持ちが働くので、注意するのに手加減してしまいます。
そういう生徒さんは、家と外との区別がついていない場合が多いです。若者の社会性が問題となっておりますが、一歩社会とかかわれば、自分は基本的に通用しない存在である、怒られて当たり前、家と同じようにはいかない、という意識がないのです。
そこのところも勉強と同じく「訓練」で培われるもので、見事に訓練されている生徒さんもいますし、家でかわいがられているから外でもかわいがられるはずだ、という認識不足により、伸び伸びを超えて傍若無人な若者が確実に増えています。
他人に注意されたり、好きな人にふられたりすると気に食わないから暴力をふるうといった事件も多くなっています。
「伸び伸び」という言葉は良い意味で使われていることが多いですが、実施ほとんどいいことはありません。のび太くんはドラえもんがいるからなんとかなるのであって、子供は常に、口うるさく教え導いて、細かく注意し、いろいろな意味で訓練し続けてやる必要があります。「伸び伸び」させればさせるほど、人間よりも動物に近い存在になると私は思います。また、「放任」はもっといけません。子供がどこか投げやりになります。
私はこれからも、うるさいおばちゃんであり続けようと思うし、怒ってくれた相手に感謝できるよう自分自身をも訓練しようと思います。そして、口うるさいお母様がたこそ、本物の母親だと思います。
またやりすぎてしまった。
そこまで正直に必死にやらなくてもいいだろうに、と
反省。
及ばざるは過ぎたるよりまされり、だというに。
たいがいのことはいい加減なのに、
人間はなぜこうも、
仕事の前ではハチ公のように忠実になれるのだろうか。
去年か一昨年か、
御巣鷹山の日航機墜落の際の
ボイスレコーダーの内容が公開されたのを
テレビ番組で見て感じた。.
「アンコントロール」
「山にぶつかるぞ」
「どーんといこうや」
「マックパワー」
「頭下げろ、がんばれ」
「これは駄目かも分からんね」
「今舵いっぱいです」
「あたま(機首)下げろ」
「上げろ、上げろ」
いずれも取り乱した様子はない。
音声の切れる最後の言葉は、機長の、
「あー、だめだ。」
だったと思う。
胸が締め付けられた。
自分だって死ぬのだ。
死ぬ直前なのだが、
「あー、だめだ。」
は、そのだめだではなく、
その言葉の響きには明らかに、
数百名の命を負う者の、
責任を果たせないことへの無念さがこもっていた。
事故の原因は闇に葬られた体だが、
整備不良機の操縦桿を握らされ、
まさに山の斜面に激突する寸前まで、
機長・操縦士らは
冷静に言葉を掛け合い、
指示を出し、
自らの死の瞬間まで、
プロであり続けた。
そういった壮絶な殉職はめったにないが
多くの人間が同じだ。
恋人や家族に嘘はついても、
仕事だけにはじつに誠実だ。
恋人は裏切るが、
仕事は裏切らないと、よく言われてはいるが・・・。
父がよく言った。
『ぼやぼやしやがって、
お前たちみたいなのは、将来日雇い人夫になるぞ。』
確か現在、放送禁止用語ではなかろうか。
職業の貴賎の問題は、今はさておく。
父は船乗りだった。
『金がないから船乗りになったんだ・・・・。』
毎晩酒をのんでは、愚痴や説教が始まる。
そんなとき必ず『日雇い人夫』の話になる。
おかげでうちの夕食はいつも暗かった。
父の成績表を見たことがあった。
どの科目も『甲』(つまりオール5)だ。
秀才だった父が、
タンカーの、何万ガロンという原油の上で寝食し、
室温60度を超える機関室で、
きらきら舞い上がるアスベストをふんだんに吸い込み、
缶ピースを一日100本も吸い、
毎晩一升酒を飲み、
人生のほとんどを過してきたのだ。
やけになっているのだと、父を嫌っていた。
やがて反抗し、
家を出て、
父の存在などどうでもよい年月が過ぎた。
私も親になり、
その後大黒柱になり、
人並みよりちょっと多く苦労をし、
まあいろいろあって、
今は父が、
この世で一番尊敬する男となった。
幸せなことに、
父は健在だ。
先日夜のニュースの特集で、
『ネットカフェ難民』 のことを知って愕然とした。
『日雇い人夫』 ではないか。
いろいろ事情もあろうし、行政にも負うところはあるにしても、
彼ら、彼女らの多くが、
無計画のなれの果てなのだ。
父はやけくそで毎晩言っていたのではなかった。
まさに世の行く末を見極めていたのだ。
父が毎晩食卓を暗くしてくれたおかげかどうかはわからないが、
私は一応屋根のある家に住み、
人様に必要とされる仕事がある。
そして今日も子ども達に言って聞かす。
『ちゃ~んとお勉強しておかないと、
ネットカフェ難民になりますよっ!!』
拝 啓
入梅前ですが爽やかな日もあり、時々夏雲が見られます。
中総体前で、塾でも若干手綱を緩めさせていただいております。
常々ごひいき御協力、本当にありがとうございます。
なかなかまめな通信ができず、申し訳ございません。
時間があれば極力生徒さんの成績アップにつながる仕事に充てたいという偏屈さをお許しください。
気になることやお悩み、ご相談などは、ご遠慮なくLINE・メールなさってください。
ここ数日は、テレビをつければ、例のN大学の不祥事が報道されていますね。
私も、指導者の末席を汚す者として、大いに気になるところです。
おおよそ事実の真否は明らかで、誰が見ても責められるべきは誰かがわかりきっておりますので、ここはあえて、尻馬に乗って同じような意見を述べるのはやめておきます。
ただ、一連の報道を見聞きして一番に私が思ったことは、
「負けてもいいだろうに、U監督。」ということです。
何が何でも勝つことにこだわれば、似たような悲劇はまた起きると思われます。
世の中のあらゆる場面で、半分は勝ち、半分が負けるのであって、負け戦とわかっていても戦わなければならないことは多くあります。
私も、毎年生徒さんとともに受験を戦います。中には、絶対負けるな、とわかっている戦いもあります。さまざまな理由で、勝てない生徒さんは、一定の割合で必ずおられます。
今の中3の生徒さんの中にも、負けるかもしれないな、と思われる生徒さんはいます。
私は、そういう生徒さんにも最後まで寄り添い続け、負けたらともに保護者様に謝る決意を固めておりますので、淡々とかつ厳しく指導を続けますが、負け戦はつらいです。胃はぼろぼろになります。
しかし、負けるとわかっている戦いのさなかでも、教えることはあるのです。
受験のみならず、これからの長い人生、勝負に出れば半分は負けるのです。
そういうときどう振舞うか、どう人生を軌道修正し、前向きに進むかを決めるのが積み重ねてきた教養だと思います。
でも、負け戦と思っていたら、奇跡的に合格なさる生徒さんも時々います。
負けることを恐れず戦ったごほうびですかね。やはり勉強の神様っているんだな、と思います。
中学生の指導はもちろんですが、小学生の個別指導、英語教室、そろばん教室、いずれも楽しくなってまいりました。
今学期もますますがんばります。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。 敬 具
共稼ぎや、一人親の家庭が多く、
子供はいつも一人ぼっち。
それはしかたがないが、たまの休みにともに過ごせる場合、
特別なことではなく、「日常」をおしえてやってください。
平凡な、日々の暮らしを見せてやってほしい。
塾、水泳、ピアノ、そろばん、英語、お習字、サッカー、と、
スケジュールぎっしりの小学生さんが時々いる。
この子は、自分にとって本当に大切なものを感知するアンテナを張って、
受信できる時間がない。
毎日毎日、与えられたスケジュールをこなす。
弐度と戻っては来ない、命の次に貴重な時間を、
「こなす」ことに費やす。
そうして年を重ねる。
思うようにならない子供さんをお持ちの保護者さまにおいては、
子供さんを伸ばそうと思えば、ある種のあきらめが必要である。
子供は思い通りにはならない。
子供は何もわかっちゃいない。
だから勉強は塾にまかせよう。
そして自分は精一杯助けてやろう、何かできることはないのか探そう。
そういう強く賢いお母さんが、結局勝つ。
ワークは全部先生が見て、添削します。
全員分をすべてみますので、返却が若干遅れます。
それで、別の教材をあげます。こんなのは全部無料です。
自己添削は最後までさせません。先生に見られる、見てもらう、いい加減な解答を
していると怒られる、といった緊張感が、子供を伸ばします。
腕が痛くなります。眼も疲れます。
でも、今日も一日中、添削添削なのです。
それしかない、先生も君たちも、地味と地道の積み重ねさ。
小学生の保護者様にときどき見られますが、
子供さんの、「できない」状態が、我慢ならない保護者様がおられます。
「できない」ときこそチャンス、失敗や間違いを繰り返すことこそが訓練、成長のもとであるのに、
先手先手を打って、成長の芽を片っ端から摘んでしまっておられます。
宿題などで生徒さんが行き詰まっている単元を見つけると、電話がかかってきます。
「道のり・速さ・時間のところがわからないと言っています。」
そういった電話をお受けした瞬間に、この生徒さんは辞めてしまうだろうと思います。
そうして大体その通りになります。
大手チェーン塾ならば、「申し訳ございません、指導を強化いたします。」と返してその場を収めるのでしょうが、
私は適当なことを言ってうやむやに済ませ、同じことの蒸し返しというのが非合理的と思いますので、
「お母様が気付いた分野は氷山の一角で、その100倍くらい、理解できていない分野はございますので
優先順位を考えて、肝心な部分から指導させていただいております。」と、
ありのままを答えます。
意に沿った答えが返ってこなかったお母様は若干熱くなられ、
「そしたら、どうすればいいんですか?」
「放っておいてください。」
「分からないままにして置くってことですか?」
「勉強に対する姿勢や意欲や習慣といったものを固めることがいまは大事です。
目先の細かいことにとらわれていると、子供さんが勉強自体いやになりませんか?」
「み・は・じはどうするんですか?!」
「私の塾の卒業生で、み・は・じがわからないままだった生徒さんは一人もおりません。
しかるべきタイミングでしっかり指導いたします。おまかせくださいませんか。」
要するに、みはじを教えても、意欲がなければ覚えないし、すぐ忘れてしまうわけで、
みはじをわかりたい、という意欲や姿勢を育てることが何よりも大切なのです。
そういった意味で、集団指導での切磋琢磨は大事です。集団の中で伸びる子が優秀な生徒さんと言えます。
私が基本的に個別指導のみの生徒さんを受け入れないのも、そういう訳からなのです。
こういうお母様のお子さんは、驚くほど同じタイプで、受身的で表情がなく、
実力も10段階の5~6ぐらい、意欲も感じられず、それに対してお母様がますますイライラ、
結局やめてしまい、塾を転々とする。
厳しく見えても、実はこういうお母様の行動はたいへんな過保護にあたります。お子様は、
どんなにうるさくても、他人より親が自分を愛している、お母様のいいなりにしておいたほうが平和だ、
と見抜いています。放置なさっている保護者様よりはだいぶんいいですが、過保護に育てられた
お子様は、ある程度のところまでは伸びても、いざ真剣勝負というときに、底力が出ず、
成功しないケースが多いと言います。保護者様におかれましては、できれば、
生徒さんと指導者との一騎打ち、という関係を応援していただきたいものです。
中学3年の皆さん、花の25年度生は、素晴らしい生徒さん達がたくさん集まってください
ました。私には、自分の指導の指針の支えとなっている生徒さんがいます。きみたちの
10年ほど先輩の、やはり花の○○年度生といっていい生徒さんたちのうちの2名です。
その時の私は、時津で信用をいただけるようになり、たくさんの生徒さんが来てくれたことが
嬉しく、和気あいあいと楽しいクラスを作り上げてしまいました。ほとんどの生徒さんが合格
なさいましたが,部活を引退してから入塾された2名の生徒さんが不合格となりました。
その学年の生徒さんは、今も節目節目に塾を訪れ、元気な姿を見せ、近況を知らせて
くれます。2名の生徒さんは、不本意な私立高校に行き、辛い高校生活を送ったそうですが
苦労が実を結んだのか、2名とも国立大学に合格、一流企業に入社しておられます。
私は彼らがそういったことを知らせに来てくれるたびに、胸が締め付けられる思いが
いたします。自分に今ほどの指導力がなかったことは仕方がないとしても、楽しく勉強させ
優しく接したことが、彼らの才能を腐らせていたのではないのかという思いが、その後
次の世代の生徒さん達を指導しながらもずっと、ますます強くなるのです。
彼らが訪れるのは、「先生、気にせんで。自分たち、国立大に受かったよ。」
「高校は落ちたけど、就職もうまくいったよ。やったやろ。」とでも言って私を労ってくれる
ためなのか、それとも照れ隠しなのか、本当に申し訳なかったと、自分を恥ずかしく思います。
それからいろいろな生徒さんを指導させていただきましたが,やはり若者には厳しく毅然とした
態度で接しなければならぬという思いは強くなるばかりです。卒業後も訪ねて来てくれる
塾生さんは少なくなりましたが、それで結構です。2名の生徒さんが顔を見せてくれるのは、
それはそれは嬉しいですが、それよりも、きちんと第一志望に合格して、
「ああきつかった。やっと鬼婆アの塾から卒業できる、二度と来るもんか。」
と思われた方が、よほどいいです。ほとんどのご父兄の皆様が,私より年下になってしまいました。いわば私は、姑のような存在で,こわい,うるさい,面倒くさい存在になりつつあるのかもしれません。それでも私は今後ますますうるさい細かい厳しい塾を目指します。一部大手個別指導塾が、アルバイトを使って,まるで美容院やネイルサロンのお客様のような扱いをして子供たちを甘やかし、腐らせて行くのは見るに堪えません。個人塾でも、塾を始めたばかりで経営が軌道に乗っていない塾は、生徒さんにやめられては困るということで、理想を貫くことはしにくいでしょう。私どものような、経営も落ち着いた個人塾こそ,生徒さんにはっきりしたことを言いながら、頑固に理想を貫く責務があると思っております。
T: この前はなんで休んだとね?
S: 急に部活の特訓が入りました。
T: ん? そうは聞いてないけど? (調査済み。)
S: そうなんです。行ってみると、監督も他の部員も誰も来ていなかったので、
1人で特訓していました。
T: ……。
S: ……。
T: ……。 それも嘘やろ?
T: この前は,なんで休んだとね?
S: 自転車で来ていたら、うっかり田んぼに落ちて、
そのまま気を失っていました。
T: ……。
S: ……。
T: …… 嘘やろ?
中学3年,受験のにおいがしてきた。
この時期になると、生意気盛りの生徒たちが
なんと従順になって来ることか。
特に男子は、まるで子羊のような瞳で、気弱そうに私を見る。
「落ちたくない、先生たすけて…。」
といったふう。
羊が一匹、羊が二匹,……
今夜から眠れそうにない。
私たちの地域はなぜか、いわゆる「○ンキー」「もと○ん」と呼ばれるタイプの方々が多く
生活しておられる。産業の町で、工場も多く、、生活レベルもあまり高くない方々が多いのだ。
仕事が終わってからドンキ・ホーテなど行けば、どこからこんなに湧いて来られたのか
と思うほど、店内は「○ンキー」さんであふれている。夜中だというに、子供連れもいる。
親子で金髪、残念なファッションセンス、時には泣きわめく幼児を大声で怒りちらす、下品極まりない、と、最近までは私は、この手の方々を「お下劣だわ。」と思っていた。
私の塾にもたまに、こういうご家庭のお子様が入塾なさる。きちんとした方もいるのだが、月謝未納のまま踏み倒してやめてしまうのはたいていこういったご家庭だ。けしからん、嘆かわしいと、つい最近まで、ただ厭だった。
この5月,胸の詰まるような事件の報道があった。5歳の男児が親の育児放棄により餓死した。死亡する前の2年間は、親はたまにしか帰宅せず、食事もたまにしか与えられず、電気も止まっていたというから、暗い、寒い、さびしい、ひもじい、怖い、暑い、痛い、苦しい、痩せた小さな体にあらゆる苦痛が圧し掛かった。そしてひとりぼっちで死んだ。このニュースはあまりに辛すぎて、しばらくは思いださないようにしていた。いまだに家族や知り合いと話題にして話したこともない。今も書きながら涙が出てくる。さらに哀しいのは、「パパ」「ママ」「ごはん」くらいしか言葉を話せなかったということだ。この子にとって、生きて行くための大切なものが、「パパ」と「ママ」と「ごはん」の三つだったのだろう。この三つさえあれば生きていけたのだろうに、なくなる前の2年間は、そのたったの三つもなかったのだから、ふた親に対し、「馬鹿野郎!」と思う。
6月の某日、ミスターマックスに行った。ここも「○ンキー」さんが多い。今日も、子供が泣く、
「○ンママ」さん怒鳴る、の構図が繰り広げられている。が、不思議だ、うっとうしくない。というより、その元気な親子が愛おしくさえ感じる。それだけ、あのニュースは私に衝撃を与えたのか。確かに品はない、教養もいまいちだ。しかし、怒鳴り散らしながらもそのお子さんは、血色がよく、少なくとも衣食住は事足りているようだ。ほっぺたは子供らしくパンパン・つるつる、片手にお菓子なり人形なり自動車なり、なにかお気に入りのものを握っている。がりがりの子供など1人もいない。センスはいまいちでも、親子でおそろいのヘアスタイル、ペアルックで決めていたりする。この人たちも、必死で子育てをしているのだな、時には大声で罵倒したり、ハリ倒したり、あちこちの支払いを踏み倒したりしながらも、子供を愛し、一生懸命日本の宝を守っているのだな。嫌っていてごめんなさい。
死んでしまった5歳の男の子は、少なくとも私のある価値観を大きく変えた。
「夢や希望」ということばは、子供に勘違いをさせるので、
私は絶対使わない。
テレビで毎年、各私立高校の宣伝番組をやっているが、
「夢に向かってがんばろう!」的なキャッチコピーがいつも気になる。
教育者がそのような曖昧な表現でいいのか。
「夢に向かって走る」とは、実際どういうことなのか。
私には「破滅に向かってまっしぐら」と聞こえる。
いい加減に、フィーリングで物を言うことは、
特に子供に対しては許されない。
「夢」は、かなわないから「夢」であり、
人生のちょっとしたスパイスであるのであって、
「目的」や「目標」と混同させてはならない。
人生には基本的には「夢」も「希望」もない。
「生きがい」や「目標」は持っていいと思う。
ただし、その「生きがい」や「目標」を見失う時もある。
それでも現実にどっぷり浸かりつつ
両足でしっかりふんばって
何の希望も夢もなくとも、なんとか生きていく。
大切なのは、「夢や希望」ではなく
「平凡な日常」である。
それがわかっていれば、人生は楽しめるし、
普通の日々も輝きの連続だ。
毎日毎日を、大切に、普通に生活できることが
「幸せ」というものではなかろうか。
普通にいられる強さを育むために、
学問があるのだ。
「太陽と埃のなかで」
大好きだった曲だが、これを作った彼は
今ニュースを賑わしている。
なぜ今頃なのか。
これで何かもっと大事なことから
一人でも多く目をそらしてくれ、と
思っている者はいないのか。
みんな騙されないようにね。
騙されないように、お勉強するんだよ。
生徒さんの自己管理能力の養成について
今年のゴールデンウィークは、行き違いがないように、お休み・振り替え等の日程を、早くから何度も何度も、生徒さんがたにお伝えしておりましたので、ほとんど間違いもなく、スムーズに行きました。ご協力ありがとうございました。
ゴールデンウィークや夏休みやお正月休み、学習会や模試の日程など、一度言っただけでは、まず理解していただけません。一部のおりこうさんの女子生徒さんを除き、ほとんどの生徒さんには2度3度と申し上げませんと、伝わらないのです。
そして、何度言っても伝わらない生徒さんが、毎年必ずいらっしゃいます。自己管理能力の欠如した生徒さんです。聞いて覚える気がないのです。
塾を休まない、宿題をきちんと提出する、いろいろな行事の日程等の管理は自分でやり、家族や学校・塾などに迷惑をかけない、こういった姿勢が、まず、成績アップの第一歩です。したがって、この自己管理能力の欠如に対しては、私は厳しく対処いたします。生徒さんの成績アップ、志望校合格を第一義に考える進学塾をうたっております以上、そこのところの軸はぶれません。ずんだれや油断や甘えた言動には、すかさず釘をさします。それがひいては15の春に桜が咲くかどうかに大きくかかわってくるからです。 桜が咲かなかった時の絶望をご存じですか?受験で勝つには、すべてのことを自己責任として認識するべきです。たとえ、病欠や忌引きで勉強できなかったとしても、どんな言い訳も、高校は聞き入れてくれません。成績の良い順にとるだけなのです。
ごく一部のずんだれさんのために、ていねいな日程表を書くことは、時間のロスになります。書いたとしてもそういう生徒さんは読まない、保護者様にも届かないことが多いです。また、いつも丁寧におぜん立てをして、子供の前から障害を取り除いてやるばかりでは、自己管理能力を鍛えてやる機会を逸します。
特にSクラスの生徒さんに多いですが、「明日部活の試合なので休みます。」「今日試合だったので疲れたので休みます。」などの申し出があります。志望校に対し、成績に余裕のある生徒さんなら、OKを出すこともありますが、そういう申し出をなさるのはたいてい、成績が微妙、または全くだめな生徒がほとんどです。
先日、やはり成績が微妙な生徒さんから早く帰りたいとの申し出がありましたので、ためしに、 「部活と勉強と、どっちが大事だと思う?」と聞いてみましたところ、大きな声で「部活です!」と即答でした。あまりの認識不足に、それ以上会話もせず、早く帰ることを許しましたが、まあ子供はそんなものでしょう。ただ、これを一人に許すと、その他の皆様に許さなければならなくなり、とたんに塾全体の箍が緩みます。
また、現在はまだ、個人的理由のお休みの場合も振り替え授業をしておりますが、振り替えは、他学年や他コースの時間帯に割り込んで行うため、そこの生徒さんに迷惑がかかるだけでなく、ご本人にも満足な指導ができないことがあります。やはり保護者さまからのお申し出がない限り許可できません。早引きも、メールか電話でご連絡ください。
そして、休んだり早引きしたりするたびに、確実に学力が落ちて行くことを覚悟願います。
保護者さまにおかれましては、子供さんと塾との間に板ばさみになり、不愉快な思いをなさることもあるでしょう。しかし、常に志望校合格という目標を背負って物を言っております。ご理解ください。
受験はあっという間にやってくるのです。
今のうちに教室を大掃除しておく。
大晦日や正月休みは、受験直前、それどころではない。
卒業生の残したプリントやテストが出てくる。
遠くで頑張っているわが子を想うような気持ち、
うるっと来る。
あ、この子、合格できなかったな。
急に胸がぎゅーっと辛くなる。
忘れることはない。
でも、
もう私が彼にしてやれることはないから、
その代わりに、今の子たちを必死で鍛える。
ずーっと罪滅ぼしをしているようなものだ、
この仕事は。
みんなの新学年のワーク、まだ新しい。
また名前がない。
「これ、だれのかなー?」
注意を促すため、一応訊くが、文字でだれのかすぐ分かる。
「Mちゃんね。」
名前ペンを取りだし、愛をこめてお名前をかいてやる。
それをじっと見ていたMちゃん、
「先生、しゃくれてますよ。」
「???」
その後爆笑。
綺麗に書いてやろうと力んでいたのだろう。
下唇が出ていたらしい。
こういう場面、いつもしゃくれていたのだろうか。
Mちゃんは、勉強もよくできる。
うちは厳しい塾なので、こういうことを遠慮なく言ってくれるお嬢は少ない。
チャックが開いていたり、髪が乱れていたり、
もー、早くおしえてよー、と思うことが多い中、
雰囲気を悪くすることなく、それができるMちゃんは
やはり賢いなと思う。
生徒はみなかわいい。
卒業していったある生徒のことが思い出された。
兄弟姉妹が通塾してくれているので、さりげなく尋ねてみる。
「○○はどうしているかな?」
「あー、勉強大変だって。」
「ふーん、そっか。」
しつこく覚えていられても、お年頃の子どもたちには迷惑だろうから、
そっけなく会話は終わった。
胸があったかくなった。
どうしたらもっと良い指導ができるか、どうやったらもっと生徒さんの成績を上げることができるか,ずっと考え続けております。
常に試行錯誤を繰り返し、効果があると思った方法はすぐに取り入れ、改善を続けてきました。
おかげさまで、一定の結果を出し続けることで皆様の信頼をいただき、生徒さんの学力も上がり、優秀な生徒が集まってくださるようになりました。
集団授業は個別指導とちがって、月謝の設定も安くでき、また、仲間との競争や切磋琢磨により、成績向上に大変効果があります。
反面、クラスメンバー全員の学力のレベルが一定に揃っていませんと、進行が難しいという難点があります。そのため、昨年度の中学3年生におきましては、現行のクラスのレベルについて来られないと思われる多くの生徒さんの入塾をお断りしなくてはなりませんでした。また先日も、指定日に来られない中学校の生徒さんの入塾希望をお断りしたばかりです。その中にはご紹介でいらっしゃった生徒さんもおられ、申し訳ないことです。断られるというのは、少なからず心が傷つきますし、生徒さんをえり好みするのではなく、当塾の門戸をたたいてくださった生徒さんから順番にお受けするのが、講師として正しい姿勢とも思います。
学力の高い生徒さんは、満足させるのに労力がいるため指導は大変ですが、成績が伸びやすいので、精神的に楽です。
学力の低い生徒さんは、指導は楽ですが、結果が目に見えて表れるのに長い期間が必要なため、精神的に辛いです。
一長一短で、どちらの生徒さんも指導を続けていかないと、塾講師としての腕を磨き続けるにおいて、偏った方に向かってしまうという懸念もあります。
学力の差だけでなく、その他いろいろな理由から、26年度より、中学生においては
1学年を2クラスに分けることにいたしました。
当塾は数年内に、新教室に移転の予定があり、そうすると複数の部屋を確保できるようになるため、クラス分けは移転してからと思っていました。しかし現在すでに、各学年ともまとまった人数の生徒さんに入塾いただいており、4月以降さらに問い合わせが始まると思われますので、早めに受け入れ体制を整えることにしました。
改善においては必ず副作用として不都合な点やご協力いただかなければならない点など痛みを伴いますが、漫然と今の状態を続ける方がなおご迷惑をおかけすることになります。
生徒さんのために、プラスの面がはるかに大きいという確信のもとに動いておりますので何卒ご理解いただければと存じます。
目上の人、たとえば私に怒られたり注意されたりしたとき、びっくりするほど従順な生徒さんもいれば、反射的に言い分けが出る生徒さんもいますし、反発した様子の生徒さんもいます。
切れてそのまま辞めていった生徒さんは記憶によれば、時津での16年間で2名だけです。 時津の方は良い方ばかりで、私は幸せだと思います。
怒られても素直な対応を見せてくれる生徒さんは得です。また注意してもらえます。学力も、人としても伸びます。それに対し、他から否定されることに過敏に反応する生徒さんは、今後はほどほどにしなければ、という気持ちが働くので、注意するのに手加減してしまいます。
そういう生徒さんは、家と外との区別がついていない場合が多いです。若者の社会性が問題となっておりますが、一歩社会とかかわれば、自分は基本的に通用しない存在である、怒られて当たり前、家と同じようにはいかない、という意識がないのです。
そこのところも勉強と同じく「訓練」で培われるもので、見事に訓練されている生徒さんもいますし、家でかわいがられているから外でもかわいがられるはずだ、という認識不足により、伸び伸びを超えて傍若無人な若者が確実に増えています。
他人に注意されたり、好きな人にふられたりすると気に食わないから暴力をふるうといった事件も多くなっています。
「伸び伸び」という言葉は良い意味で使われていることが多いですが、実施ほとんどいいことはありません。のび太くんはドラえもんがいるからなんとかなるのであって、子供は常に、口うるさく教え導いて、細かく注意し、いろいろな意味で訓練し続けてやる必要があります。「伸び伸び」させればさせるほど、人間よりも動物に近い存在になると私は思います。また、「放任」はもっといけません。子供がどこか投げやりになります。
私はこれからも、うるさいおばちゃんであり続けようと思うし、怒ってくれた相手に感謝できるよう自分自身をも訓練しようと思います。そして、口うるさいお母様がたこそ、本物の母親だと思います。
またやりすぎてしまった。
そこまで正直に必死にやらなくてもいいだろうに、と
反省。
及ばざるは過ぎたるよりまされり、だというに。
たいがいのことはいい加減なのに、
人間はなぜこうも、
仕事の前ではハチ公のように忠実になれるのだろうか。
去年か一昨年か、
御巣鷹山の日航機墜落の際の
ボイスレコーダーの内容が公開されたのを
テレビ番組で見て感じた。.
「アンコントロール」
「山にぶつかるぞ」
「どーんといこうや」
「マックパワー」
「頭下げろ、がんばれ」
「これは駄目かも分からんね」
「今舵いっぱいです」
「あたま(機首)下げろ」
「上げろ、上げろ」
いずれも取り乱した様子はない。
音声の切れる最後の言葉は、機長の、
「あー、だめだ。」
だったと思う。
胸が締め付けられた。
自分だって死ぬのだ。
死ぬ直前なのだが、
「あー、だめだ。」
は、そのだめだではなく、
その言葉の響きには明らかに、
数百名の命を負う者の、
責任を果たせないことへの無念さがこもっていた。
事故の原因は闇に葬られた体だが、
整備不良機の操縦桿を握らされ、
まさに山の斜面に激突する寸前まで、
機長・操縦士らは
冷静に言葉を掛け合い、
指示を出し、
自らの死の瞬間まで、
プロであり続けた。
そういった壮絶な殉職はめったにないが
多くの人間が同じだ。
恋人や家族に嘘はついても、
仕事だけにはじつに誠実だ。
恋人は裏切るが、
仕事は裏切らないと、よく言われてはいるが・・・。
父がよく言った。
『ぼやぼやしやがって、
お前たちみたいなのは、将来日雇い人夫になるぞ。』
確か現在、放送禁止用語ではなかろうか。
職業の貴賎の問題は、今はさておく。
父は船乗りだった。
『金がないから船乗りになったんだ・・・・。』
毎晩酒をのんでは、愚痴や説教が始まる。
そんなとき必ず『日雇い人夫』の話になる。
おかげでうちの夕食はいつも暗かった。
父の成績表を見たことがあった。
どの科目も『甲』(つまりオール5)だ。
秀才だった父が、
タンカーの、何万ガロンという原油の上で寝食し、
室温60度を超える機関室で、
きらきら舞い上がるアスベストをふんだんに吸い込み、
缶ピースを一日100本も吸い、
毎晩一升酒を飲み、
人生のほとんどを過してきたのだ。
やけになっているのだと、父を嫌っていた。
やがて反抗し、
家を出て、
父の存在などどうでもよい年月が過ぎた。
私も親になり、
その後大黒柱になり、
人並みよりちょっと多く苦労をし、
まあいろいろあって、
今は父が、
この世で一番尊敬する男となった。
幸せなことに、
父は健在だ。
先日夜のニュースの特集で、
『ネットカフェ難民』 のことを知って愕然とした。
『日雇い人夫』 ではないか。
いろいろ事情もあろうし、行政にも負うところはあるにしても、
彼ら、彼女らの多くが、
無計画のなれの果てなのだ。
父はやけくそで毎晩言っていたのではなかった。
まさに世の行く末を見極めていたのだ。
父が毎晩食卓を暗くしてくれたおかげかどうかはわからないが、
私は一応屋根のある家に住み、
人様に必要とされる仕事がある。
そして今日も子ども達に言って聞かす。
『ちゃ~んとお勉強しておかないと、
ネットカフェ難民になりますよっ!!』